しかし今回の訪問でスポーツを通じて言語や文化の違いを超えた理解と交流が実現できること、また遠い国に生きていてもお互いの共通点を見出すことができることなどを改めて認識しました。 そして現地で出会った日本人の方々が皆一様に生き生きと活躍されている姿を目の当たりにし、この国の人たちのやさしさ、精神的な豊かさをさらに感じることができました。 セネガルといえば先のFIFAワールドカップロシア大会での日本代表とセネガル代表の熱い戦いが記憶に新しいところです。日本代表のホームは"ジャパンブルー"と呼ばれ、国旗カラーと無関係。 こちらの小学校およびティエス市内の学校には独立行政法人 国際協力機構(以下JICA)から青年海外協力隊として小学校の先生が数名派遣されています。緑は「農業、希望」、黄は「富、資源」、赤は「独立闘争で流された血」。青は「澄んだ空」、黄は「キリスト教・青年海外協力隊や日本人留学生からユニフォームを配られた後、早速ゲーム開始。 ユニフォームは国旗カラーだが、そもそもパナマ国旗は赤が「自由党」、青が「保守党」、白が「両党の協力」と、コロンビアからの独立当時の政治情勢が映し出され、国家の歴史やアイデンティティーが反映されているわけではない。
赤は「オスマン帝国時代の反抗勢力の名残り、または犠牲者の血」、白は「平和」。日本から約1万4000キロ離れたセネガルの最北端の集落ですが、子供たちは日本のサッカー選手の名前を何人も知っている様子。日本代表が魅せてくれるなんてなあ・ アフリカの国々というと日本からは距離も離れていることもあり、身近に感じる機会は多くないかもしれません。 サッカーに熱狂するお国柄、FIFAワールドカップロシア大会での対戦相手として印象に残っていたようです。 JICAのご協力のもと在セネガル日本国大使館の新井大使ご夫妻およびセネガル教育省局長、ティエス州知事等のご臨席を頂いた一大セレモニーは、両国の国歌斉唱で開始。国旗中央の星は希望や自由の象徴。快進撃の理由だと思われます。自由・独立」。変化(へんげ)する恐怖を君は知るまいッ!
イスラム共和国との国境にあるチャガールという集落の小学校を訪れました。 この青については、1930年に東京で開催された『第9回極東選手権』のために招集されたメンバーの大半が、東京帝国大学(現東京大学)の選手だったことから、当時の東帝大サッカー部のユニフォームカラーだった青を使用。 その影響から公用語はフランス語ですが、地元の人々同士では民族語が共通語として話されており、多くの人がバイリンガルということになります。 この大会で好成績を収め、そのまま青を継続使用したことが青いユニフォームの起源とされている。 「本田なしでも得点機会は作れていたよっ!楽しくボールを追いかける姿にも身体能力の高さが見え隠れし、この子たちがあのセネガル代表チームの強さ、早さ、上手さを兼ね備えた選手たちの原点なのかもしれません。互角以上に戦っていたんですよ! また、セネガルの女性はみな驚くほどお洒落で、原色と原色の組み合わせや体の線を引き立てる仕立ての素敵なドレスを普段から堂々と着こなしています。手持ちのカラフルなボトムスとユニフォームのコーディネートはまさに絶妙で、セネガルの強い陽射しの下で皆がキラキラ輝いていました。
セネガル 代表 ユニフォーム例外的に許されているのでございます!子供たちも例外ではありません。子供たちの歓迎のダンスや、学校代表の児童からのユニフォームを送っていただいたサポーターの方々への感謝の言葉がありました。小さな小学校の教室にはお洋服の色があふれています。午後はセネガル第二の都市、ダカールの東に位置するティエス市の小学校を訪問しました。活動二日目、午前はチャガールから少し南下したセネガル北西部のチエップという集落の小学校を訪問。活動最終日の三日目に訪問したのはダカール近郊のクルマサールという街にある一貫校です。中央の"三日月と星"はイスラム教の象徴。 こちらもチャガール同様地図にも載っていないような小さな集落ですが、地域中の子供が集まる小学校で子供たちが元気に迎えてくれました。観ていて小気味が良かったですね。赤土の大地に雨季が終わったばかりの緑の葉が茂る木が点在する風景の中、舗装されていない道を進んでいくと小さな集落の中に元気な子供の声が響く小さな小学校が現れました。日本の小学生から高校生に当たる生徒たちにユニフォームを配り、学校の近くの大きなバオバブの木がある広場までユニフォームを着て移動し、サッカーを楽しみました。
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